気ままにゲームする

プレイしてきたゲームの記録。つらつらと私見を語るだけ。

で、結局ホグワーツレガシーのSwitch版どうなのよ

新年快乐!
この記事は旧暦の正月、春節真っ只中に書いている。昔はそれほどでもなかったのに、最近は日本でも春節に関連したイベントが増えたように思う。主にゲーム関連で。大陸産ソシャゲが市場の大部分を占めるようになったからだろうか。詳しいことは分からないが、まだ春節が浸透していなかった時に「正月は2回ある」と言って白い目を向けられていた身からすると春節のイベントが増え、身近になってきたのは嬉しい。あの頃、気分はさながらガリレオ・ガリレイだった。それでも正月は2回ある。

そんな少年時代、私は勉強を頑張れない子どもだった。特に理数系が苦手で、数学どころか算数でもう躓いていた。大人になった今も本能が数学を嫌うのか、ポケモンSVでも言語と美術の授業は最後までしっかり受けたのに、数学だけはノータッチのままだ。他の教科も対して良くはなかった。単純に脳のつくりが勉強に向いていないというのもあるが、勉強以上に夢中になっていたものがあったのだ。

ハリーポッターだ。映画はもちろん、しっかりと原作も全部読んだ。携帯性を重視してあの辞書みたいな分厚さのやつではなく児童書の方を読んでいたが、それでも全部読んだ。映画含めて一番好きなのは賢者の石とアズカバンの囚人だ。ワクワク感が桁違いだった。家でも読んでいたし、学校でも読んでいた。なんなら授業中にも教科書でカバーしたジャンプを読むみたいなノリでこっそり読んでいた。金曜ロードショーハリーポッターを見た日は必ず箒で空を飛ぶ夢を見た。それぐらい好きだった。USJハリーポッターに解釈違いを起こしてモヤるぐらいには今も好きだ。
https://www.sayzansha.com/smp/book/b358010.html
↑のやつ。1冊1冊が薄くて読みやすくておすすめ。

ここまでハリーポッターについて少し語ったが、今回のテーマはタイトルにある通り、Switch版ホグワーツレガシーの話だ。今もやっているかはあやふやだが、旧正月セールで安くなっていたから買った。あんなに好き好き言ってたのになんで発売日に買わないんだよというツッコミが飛んできそうだが、PS5やゲーミングPCなぞ買う金は無いし、Switch版の発売日もゲームが出来ないぐらい忙しかった。そんなこんなで買わずに年を越して、ちょうどいいタイミングでセールが来たから買ったという経緯だ。

結論から言う。満足している。
Switch版ホグワーツレガシーは、ネガティブな話題で盛り上がっていた印象がある方も多いだろう。PS5版とグラフィックを比較した動画がバズっていたような気がする。しかし考えてみればPS5とSwitchでグラフィックが大幅に違うのは当たり前だろう。それぞれがマーケティングの対象にしている層も違う。

考えてみてほしい。ホグワーツレガシーが発売された直後にこぞって配信者が取り上げていた理由を。彼らは流行りものには飛びつかなければならないという職業柄であるという以外に。それは、PS5というバカ高い最新機器のスペックを十分に活かしたホグワーツレガシーのグラフィックに他ならないだろう。無論、純粋にハリーポッターが好きでプレイしていた配信者も居るだろうが、やはり美麗なグラフィックが大きな要因だと思う。

となると、美麗なグラフィックではなくなったSwitch版ホグワーツレガシーをわざわざ選ぶのはほとんどハリーポッターシリーズのファンしかいなくなる。そもそも一般人はPS5もゲーミングPCも持っていないし、それにかける金はない。が、Switchなら手が出るし、購入のハードルも比較的低い。マリオやポケモン用に買ったけど、ハリーポッターが好きだからホグワーツレガシーもやりたい!という層に向けたソフトなのだ。対象とするお客さまが根本からして違う。

実際にプレイしてみたが、確かにグラフィックはフィルターがかかったみたいにぼやぼやしているし、ホグズミードで挟まるローディングの長さは許容範囲ギリギリだ。が、しっかり遊べる。今のところ処理落ちも無いし、目立ったバグも無い。十分に魔法界に入り込める。実際箒に乗って空が飛べるようになった時はめちゃくちゃに感動した。長年の夢が叶ったのだ。先生の目を盗んで授業中にホグワーツを飛び出し箒で友だちと飛び回るというシチュエーションもめちゃくちゃにいい。同様にヒッポグリフに初めて乗った時もすごく感動して、ちょっと泣きそうだった。各所でハリーポッターの世界観に入り込める演出があるが、ヒッポグリフに対してお辞儀ができるコマンドがあるのが特にお気に入りだ。

ここで突然だが、私がつくった主人公を見てほしい。


どうだろうか?個人的にはめちゃくちゃ良く出来たと思っている。黒い髪に鈍い赤色の瞳、好青年風の顔立ちにくっきりと刻まれた両眼の間の傷。とんでもなく好みの見た目に出来たうえに主人公の標準ボイスがザ・好青年で更にテンションは爆上がりだ。お察しの通り私は自キャラを愛でるタイプのオタクである。主人公とプレイヤーの私はイコールではなく、完全に別の存在で、ゲームの世界という箱庭の中に暮らす主人公とNPCたちを私が俯瞰して眺めているという感覚だ。実は、私がホグワーツレガシーを楽しくプレイ出来ているのはこの主人公の存在が大きい。

こんな風に、ランロク関連でたまに怪しい言動をするので、それをキャラ解釈に組み込むのがとても楽しい。完全にとばっちりで命を狙われているうえ何回か危ない目にあわされているから仕方ないと言えば仕方ないのだが、動物をつかま……助ける時の優しい声色とのギャップでやられてしまった。この時もこの時で、助けるのに失敗するとちょっと苛立ったような、呆れたような調子のセリフを言うので激しく萌える。何を隠そう、私は身内に甘く、それ以外には全く容赦しない男が大好きなのだ。

ここまで主人公に入れ込んでしまい、なんとなくで付けた顔の傷も「セバスチャンの磔の呪文を受けた時にもんどりうっているうちに付いた傷」という妄想までし始めてしまう始末である。

この場面。主人公の名前はあえて厨二っぽくしている。

作中何度か闇の魔術を使うか使わないかの選択を迫られる場面があるのだが、一周目だし善良な魔法使いでいたいし……という理由ではなく、「主人公くんはこんなことしない!!」という厄介オタクムーヴで闇の魔術に手を出していない。まあ、変身術で敵を樽に変えはするのだけど。

と、オリジナル主人公に対する愛を語るパートが少々長くなってしまったが、私はSwitch版のホグワーツレガシーに十分満足しているし、楽しく遊んでいる。無論PS5やゲーミングPCを持っているならそちらのバージョンで遊ぶのが無難だが、Switchしか持っていないポッタリアンにはおすすめ。原作ネタもふんだんに散りばめられているし、Switch版でもホグワーツの壁画はしっかり動く。箒に乗って飛ぶ爽快感は損なわれていないし、必要の部屋で一時間は余裕で飛ぶ。やってみて損は無いだろう。

ひとつ気になる点をあげるとするなら、水のグラフィックが地元の川レベルというところだろうか。まあ仕方がないと思うのだが、さすがに鶏白湯レベルのこの濁り具合には笑ってしまった。